ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

黄金の秋

最近はめっきり寒くなって、先週は10度前後の日が続き、昨日は少し暖かくなったと思ったら、今日は久しぶりに気持ちよく晴れて、気温もぐんと上がった。

天気予報をあまり見なくなったので、暖かいことに気が付いたのは、部屋に居ながらじんわりと汗ばんできたからだった。ヒーターをつけているけど、何だか暑い。もしかして、今日って気温が高いのでは?と思って携帯電話の天気予報を見ると、なんと20度前後。しかも青空。

これは引きこもっているべきにあらず。出かけるしかないと思って、授業が終わったら仕事を早々に放棄して散歩に出かけた。あと数週間もすれば、きっとこの葉っぱも青空もなにもなくなってしまう。できるだけ陽の光を浴びておかなくては。

 

これぞ秋。所々に黄色の絨毯、かさかさと転がる大ぶりの落ち葉。

f:id:hitommy1463:20171017013845j:plain

 

f:id:hitommy1463:20171017014247j:plain

 

ぼーっとしながら、まえに住んでいたとこらへんを散歩する。歩くと上着が要らない。暑い。歩きながら去年の秋に聞いていたアニメの音楽をずっと聴く。去年も、この同じたった3分の曲をひたすら繰り返して聞いていたけど、それは日本の電車の中で、疲れとか眠さとか、働きたくない気持ちとかを凍り付けてないものにするために聴いていたように思う。そうすれば、嫌なこととか疲労を自分の外に追い出せると信じていたのかもしれない。どうしてか自分でも不思議なくらいこの曲が好きで、たぶんカセットテープだったら擦り切れるくらい聴いているけどそれくらい好きで飽きない。何度聞いても、同じパートで時々泣きそうになる。美しい。ぼーっと生きているのに、そういう「弱み」みたいなものが自分にも存在するのが面白い。去年は日本の通勤電車で祈るように聴いていたこの曲を、今、ここでこんなふうに聴いているのも不思議でならない。よく、どうして外国で働くの、とか日本語の先生になったの、と訊かれて、海外で働きたかったから、とか日本語や日本の文化を伝えたいから、なんてもっともらしく答えるけれど、そういう「耳触り」が良くて相手の納得しやすい回答をしている自分に内心で鼻白む。ほんとうは、ただ何となくなっただけなんだけど、「いや、なんとなく」などと答えたら質問に真面目に答えていないと思われるだろうし、あるいはこいつは何にも考えていない莫迦だと思われるかもしれなくて、それが恐ろしくて無難な答えをしてしまうのだ。自分の行動をちゃんと言語化できない未熟な人間だと思われるのが怖くて、無駄な摩擦を避けたくてそんな答え方をするけれど、そのたびに自分の中にはてなマークが蓄積していく。

ぼーっとしながら、去年と同じ曲をまったく違う場所で聴いていると、ずいぶん遠くまできたもんだなあと思う。誰も知っている人がいないような所まで来て、私は今も同じ音楽を聴いてる。誰かに分かり易い理由や理論ではなくて、おそらく他の人にとっては本当にどうでもいい些末なことで動いている。小さなどうでもいい事の積み重なった何となくでここまで来た。たぶんこの先もどこへでも行けるだろう。どこへでも行けるという、行き止まりのない状態が、自分の精神衛生にとても重要であることはなんとなくわかる。しかし、やはり私はどこかの団長と同じで、動機の言語化がまったく得意ではない。秋晴れの中コートを抱えて、ぐるぐると結論も意味もないことを考えながら歩いた。帰りのトラムから見えるビスワ川とワルシャワの街並みが美しくて、遠くまで来てよかったと思った。