ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

Wesołych Świąt

クリスマスは、ポーランドでは家族の行事である。感覚としては日本の年末年始のそれと似たようなものだろうか。当然やることのない私は、いつも怠けていて、作ろう作ろうと思っているが時間と手間が面倒くさくて作らずじまいだった日本食でも作ろうと考えていた。Zloty Tarasyという中央駅のすぐ近くにある大型ショッピングモール内の輸入食品店で、「 オタフクソース」を見つけてから、ずっと作ろうと思っていたお好み焼きを作るときがついに来たと思った。小麦粉や油は買ってあった。料理が面倒でめったに買わない野菜を買いに行く。キャベツを思い切って玉で買う。人参とか玉葱も量り売りだから面倒くさくてめったに買わない。すでに「面倒くさい」という言葉を3回も使っていることに驚く。24日の午後から25日はどの店も休みになるので、ちゃんと事前に買っておく。野菜は、当然だけど重量のわりに驚くほど安い。

満を持して24日のクリスマスイブを前にした23日に、なんと学生に家族のクリスマスパーティーに来ないかと誘われてしまった。

私が、クリスマスはアニメを見て家でひとりで過ごすと悠々と宣言すると、彼は苦い顔をした。それはポーランドではあまりいいことではない、などと言う。さらにクリスマスイブに一人で過ごすなんてズルイ、とまで宣う。ズルイと言われてもこちらは家族も(恋人も)いないし、お好み焼きを焼いてアニメを見る気満々である。

33zl1000円)もするオタフクソースを買って家に着いたころ、学生から連絡があった。「やはりそれはいいことではないから、うちのパーティーに参加しないか」と言う。

私は、しまったと思った。かえって気を遣わせてしまったことと、そんなことも考えなかった自分の能天気さと、なんだか面倒なことになったということに。私はポーランド語が話せないし、明らかな部外者だから家族の集まりに臨席する資格なんてないのに、なんだか申し訳ない気がした。しばらく悩んだけど、彼が思い切って言い出してくれた誘いを断る理由もないし、それはそれで有難いことだから謹んで、ご招待賜ることにした。

 

そして当日の24日は、気温8度と寒かった今週としてはとても暖かく、雪ではなく雨がぱらついていた。私は待ち合わせの前に、お土産を買いに連日のようにZloty Tarasyというショッピングモールへ行く。途中の市場で花束を買い、モールでケーキを買う。どう考えても急場しのぎとしか思えないけど、ないよりましだろう。

会食のある学生の兄君宅まで、郊外行の電車に乗る。私は、あまり出来事を克明に覚えているほうではないけれど、それでも今回はぼんやりと緊張していてよく覚えている。電車から降りたときの、いつもより暖かい空気や、その時の景色なんかを不思議と思い出すことができる。木の枝と樹上に残る雪が、地面の斑な白と茶色に陰を落としていたこと。だんだんと薄暗くなる駅のホームや、そらの橙と紫色、団地に伸びる道と枯れ枝の黒い影なんかを。

学生のお兄さんの家に着くと、彼のお兄さんと、その奥さんアグニエスカさんが出迎えてくれて、ポーランド式の挨拶に全然慣れていない私はおろおろするしかない。3回頬でキス。 席についても、新しい家族が来て挨拶をするたびにおろおろと同じころとを行う。

午後5時過ぎに食事が始まる。まずは、アグニエスカさんが聖書の一節を朗詠する。それから一節を私以外のみんなが合唱。そしてOpłatek(オプワテク)という白いせんべいを渡されて、自分のそのせんべいをその場にいる全員にひとちぎりしてもらい、1年の願いや祈りの言葉を言ってもらう。お互いに祈りを言い合ったら挨拶を交わしてせんべいを食べる、と言う儀礼のようなことを行う。私は、せっかく何かを言ってもらってもわからず、自分はとりあえず知っている「乾杯」という意味に当たるNa zdrowie(健康を!)という言葉を言っておいたが適切だったかどうかはわからない。その場にいる家族全員と一対一で言葉を交わし合ったあと、白いせんべいを全部食べる。

ポーランドでは敬虔なプロテスタントの人が多く、クリスマスは肉と酒を摂らない。その代わりに、魚、特に鯉を食べる。私はポーランド語が分からないから、きまぐれに学生が通訳をしてくれる以外は、ごちそうを食べて、その場の会話をぼんやりと聞きながらそこにいた。ふと学生に、先生はポーランド語がわからないけれど、みんなが話している間、一体何を考えているのか、みんな不思議に思っているのだが、何を考えているのか、と尋ねられる。私は吃驚した。そんなことを気にされていたのかと言うことと、はっきり言って何にも考えていなかったことに。と言うか、所々のポーランド語が時々たまに聞き取れて、あとは話す人の表情だとか声のトーンで、文字通り私は空気を読みながらその場でどんな会話というか状況が繰り広げられているのか、予測とも観察とも言えないけれど、把握しているつもりでいたからだ。不思議なことだけれど、そして言われてみればもちろん言葉は全然分からないのだが、でも何となくわかる、ような気がしてそこにいたのだが、一体何を考えているのだ問われると返答に窮してしまった。何にも考えていない、というわけでもないけど、特段考えていることもなかった。でもたしかに、言語の分からない人間に一体何がなんとなくわかるものか、だと思う。しかし、たとえ言語が分かる日本語の会話でも、私が知らない話題だったり興味のない内容だったら、状況は知らない言語と同じことだろうと思う。なんとなく話者の表情や声、周囲の反応のし方なんかで予測する。知らない間に身に着いた余計な処世術が、奇妙に、そして中途半端に仕事をしているな、なんて後から考えた。食事の後は、みんながしきりに、ミコワイ、ミコワイと言いだして、ミコワイとはMikołajのことでつまりサンタクロースである。みんながミコワイミコワイといっているのは、プレゼント交換のことだった。お楽しみのプレゼント交換、私は部外者なのでおとなしく見学していようと思っていたら私の名前が呼ばれて、驚いたことに私にもプレゼントがある。私はますます自分がろくにポーランド語が話せないことをいよいよ申し訳なく思った。