ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

御朱印

昨日、ポーランドから旅行に来た学生と一緒に、鎌倉を観光した。

数日前にメールがあって、5月末まで東京にいるのだけど時間があったら会えないか、と連絡をくれたのだった。彼には幼い娘さんがいて、数か月前は、もうすぐ1歳半になる娘さんの夜泣きとか発熱でしばしばクラスを休んでいた。

この旅行も、当然奥さんと娘さんと来ているのかと思ったら、一人で来ている、という。ずっと前から計画していて、リフレッシュのために来たのだ、と。私が見たかぎり、ポーランドでは、日本と比較するまでもなく父親が育児に参加するシーンをよく見かけた。父親が単身ベビーカーを押して買い物したり、博物館をまわる姿や、子どもを抱き抱えて移動する姿なんかは日常的な風景だった。

私は、幼い子どもを持つ夫婦をたくさん知るわけではないけれど、日本のそれは、母親への負担が大きくて何だか窮屈な印象しかないけれど、きっと違う方法もあるんだろうなと、ポーランドの子育てをわずかに垣間見ながら思う。

 

私は3月31日に日本に帰国し、それからちょうど年度初めだからという理由で、4月2日から日本の日本語学校で働き始めた。たまたま知り合いの先生のいる学校で欠員が出ていて、タイミングよくその穴を埋めることになったのだった。時差ボケと気温差ボケと闘いながら働いて、GWが終わって、そろそろと気がついたら5月も終わろうとしている。

 

学生の彼は、日本語をだいぶ忘れていて、3割日本語、7割英語で話していたけれど、私も歩き疲れてくると、英語での会話が難儀になってきた。6日間東京で過ごして、なんだかあらかたのものは見つくしたような気がする、と言っていたけれど、残り2週間、広島、京都、奈良、大阪、と周るらしいから、まだまだ序の口である。リフレッシュといいながら連日歩き回っているので、鎌倉駅で会った時点で彼はすでに疲れていた。

なにか欲しいものや買いたいお土産はないのかと尋ねたが、特に欲しいものはないと言う。あまり物に興味がないようだった。ただ、浅草寺で買った御朱印帳に、御朱印を集めているのだった。鶴岡八幡宮で、ちょうど婚礼の義を行っていて、それをおずおずと写真に収めてから、御朱印の列に並ぶ。鶴岡八幡宮では、目の前で御朱印を捺してくれた、ほかのところではカーテンの後ろで見えなかったのに、と興奮気味に話していた。彼と一緒に御朱印の列に並びながら、私自身は御朱印を集めたことがないので、そんなことも、老若男女問わず様々な人が御朱印を集めているということも初めて知った。

私は3時から用事があったので、高徳院で大仏を見て、私は紫芋、彼は抹茶のアイスクリームを食べて、長谷駅で別れた。ここ数日、対面で人と話していなくて久々に人と話したと言っていたので、この先の旅路で願わくは日本語で、あるいはポーランド語や英語で、彼が話し相手を得ることを願いながら握手をし、改札をくぐる。

 

日本に帰って来て、典型的な日本の生活に文字通り「突入」して、ふと思いだすポーランドの生活が嘘だったように感じなくもなかったけど、そういえば私はしっかり、本当にポーランドにいたのだった、と思い直す。「ポーランド日記」など銘打ってしまったこのブログも、なのでそろそろ筆をおこうと思います。気がつけばほんの少し読者登録してくれる方や、時折見るアクセス数に首をかしげながらも、ここを通過してくれる人がゼロではないのだと驚いて、ここに私のポーランドでの生活が、とりあえず終わったことをお知らせします。