ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

悪いニュースのあとには

先日の「悪いニュース」の翌朝に、「いいニュース」が届いた。

私には、御年87歳になる友人がオーストラリアにいる。友人というか、昔のホストマザーなんだけど、ホストマザーって、なんだろう。うまく彼女との関係を言い表せないけど、「オーストラリアのおばあちゃん」という感じだろうか。8年前に、3週間だけオーストラリアのパースという町で英語を勉強したりプラプラしていたことがあって、その時のホストマザーがJoなのだ。
彼女の名前はMrs.Josephine.
初めて会ったとき「Joって呼んで」と言われて、こんな年上の女性をニックネームで呼ぶなんて、気が引けるようなドキドキするような気持ちになったのをよく覚えている。たった3週間だったけど、すごくお世話になって、そして気が合って、それから毎年、クリスマスカード(日本で言うと年賀状)を送っていた。帰国するとき、また会いに来るよ!なんて軽率に言えなかったけど、私はJoという女性がとても好きになっていてもう会えないと思うと不思議だけど寂しかった。
ついに2年前の2015年2月に、1週間ほどJoに会いに行った。その時私はベトナムで働いていて、ベトナムの旧正月休暇を使ってパースへ行ったのだ。つい最近のように思うけど、もう2年も前なのか…
今回も、ワルシャワに着いて、私はJoに葉書を送った。Joは87歳にして、パソコンとiPadを所有し、ネットを使いこなすモダンなおばあちゃんで、いつもメールでやり取りをしている。クリスマスカードが届くと、いつもメールをくれる。
しかし、今回はなかなかメールが来なかった。国際郵便というものが届かないことには慣れているので、今回もまた、私のしたためた葉書はどこかの闇に紛れ込んでしまったのかしらん、と思っていた。そう思いながらも、Joの年齢を考えると、最悪の場合が浮かんできては私を暗い気持ちにさせた。2回目の滞在で、Joの家族や、友人に会える機会があって、本当に最悪彼らに聞こうか、それとも・・・なんて考え始めると、ますます暗い気持ちになるので考えないようにしていた。
そんなJoから、朝起きるとメールが来ていた。
今年初めに来客で忙しくしていたら、体調を崩した。まずは肩を痛めて、それから持病のぜんそくが悪化した。最近マシになったからよかったけど!云々・・・それから家族や友人の近況をひととおり教えてくれる。彼女にはひ孫もいる。
私は、あっけにとられたけど、でも、その日一日Joのメールのことが頭の中にずっとあって、じわじわと嬉しさが湧いてきた。感情というのはよくわからない。引っ越さなくては…とひっ迫した気持ちがあって、でもJoからの知らせに、じわじわと喜んで、最終的に引っ越しのことなんでもうどうでもええわ、となる。
悪いニュースがひとつと、良いニュースがひとつ。
まるで村上春樹の小説のようだ(良いニュースはひとつもない、だったろうか)と思いながら、引っ越しの面倒くささにうんざりしていた気持ちが、まるでどうでもよくなっているのですごい。私は人懐っこくないのだけど、Joのことは大好きで、とても尊敬している。Joが元気だったので、まぁ万時それで良し、みたいな。もう、ぜひまたパースに行かなくてはと思う。それなら英語をまた練習しなくちゃ、と思い始める。
 それにしても、やっぱりJoは、天才かと思う。私が凹んで困るようなことが起きた次の日にメールをくれるなんて、やっぱりクールな人だ。急な引っ越しに暗澹たる気持ちだったけど、ほんと今はもうどうでもよくておかしい。次のフラットは、今のところよりもっといいところかもしれない。