ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

読書録「阿房列車」と百閒氏について

私は活字が好きで、本を読んだり、誰かが落とした文章を読みたくてはてなブログの「こんなブログもあります」をサーフィンしたりするのが好きだ。実にいろいろな人がいろいろな文章を落としている。どうでもいいもの(私のブログもそのひとつ)もあるし、きっと誰かのためになる文章もあるし、はっと息をのむ美しい文章もある。私の書く文章は残念ながらあまり意味のないものだけど、誰かが読んでくれていると思うとインターネットはすごいなぁなんて思う。

最近読んでいる本は内田百閒の「阿房列車」というもの。これは、列車大好きな百閒先生が、とくに用事もないけど、列車の旅に出る紀行文だ。

 

 阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪に行って来ようと思う。 

 

という有名な冒頭から始まる。もう、この時点で私はにやにやしてしまう。

内田百閒は、夏目漱石に師事し芥川龍之介なんかと同門ということになっている、まぁそのへんの時代の人である。私は百閒先生の諧謔にあふれる随筆がとても好きだ。

用事がないけれど、大阪やいろんなところにただ列車に乗って移動する、鉄道好きの現代で言う鉄ヲタだ。だから列車に乗ってある場所へ行って、ただ引き返して東京に戻って来る。まちがっても人に会う用事なんて作らないように氏は細心の注意を払っている。観光もできるだけしない。温泉なんか入りたくない。「阿房列車」は用事がないのに列車に乗るのが本懐だからだ。しかも、お金がないからそのために人にお金を借りて旅に出る。いわゆる借金のことを、百閒先生は「錬金術」と呼ぶ。「さて、行先も決まったことだし、さっそく錬金術にでも取り掛かろう」と言って知人に借金の申し出をしに行く。借金の記録を「錬金帖」と題して残している。そしてせっかく用事がないのに列車に乗るのだから、乗るなら1等席でないといけない、と決めている。国鉄職員の「ヒマラヤ山系」君を連れて、全国津々浦々ただ列車に乗って景色を眺め、車内で酒を飲んだくれながら移動する。なぜ「ヒマラヤ」?と思って調べたら、彼は実在していてて、名字の「ひらやま」をもじったあだ名だと知って笑ってしまった。

ただ、この時点で結構文人としても名を馳せている百閒氏なので、行く先々で各地の駅長や助役なんかの出迎えや接待を受けたり、講演会の依頼なんかが来るのだが、わがままを言ったり気を遣ってくれるなと言ったりして断っていく。

そんなわけで私も、理由もなく列車に乗りたくなってきた。しかし、それ以上に百閒先生に会ってみたいという気持ちが年々増していく。もちろんすでに鬼籍に入られて久しいので、それはかなわない。

このように、用事もなく金もないのに高い列車に乗ってただただ移動すると言うような、どうでもいいことを真顔でできる人間はあまりいない。昨今、忙しい現代人のまわりには便利な情報と効率のいい方法が氾濫しており、だれも率先して無駄をしようとは思わないだろう。

だけどなぜだか、ではなく、だからこそ私は、内田百閒という人物が好きなのだと思う。昼過ぎにならないと起きず、大酒を飲み、わがままを言い、借金をしまくり、だけど面白くて、不思議と人心を集める。氏の借金にかんする哲学もまた詭弁極まりなくて面白いのだが、それは今回は割愛としたい。