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ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

四畳半のすゝめ

最近、日本では「夜は短し歩けよ乙女」が映画化されたということで(「乙女」という変換の一番初めの候補がなぜか「お留」という謎)、見たいけど見られないもやもやを晴らすために何となく「四畳半神話大系」のアニメを見返していた。海外にいて本当に素晴らしいと思うのは、時間を自由に使うことができることだと思う。外国で多忙にしている人も見かけるけど、私はたいてい海外に出ると暇になる。ベトナムでも、ポーランドでも日本でも、基本的に薄給なこの職業だけど、海外で働くと自由な時間が取れることだけが、唯一、そして何よりも魅力的な点である。在越中、私はアニメをシリーズ単位で見まくった。暇だったのだ。そして今年も、シリーズ単位でアニメを見まくる予感がする。

四畳半神話大系は、おもしろかった。森見氏の作品は好きでだいたい読んでいるのになぜか四畳半は原作を読んだことがないけれど、だいたい想像がつく。だいたい面白い。以前、日本文学全集の発売記念講演会が早稲田大学であり、森見氏など名だたる作家が臨席する催しに無料で参観できると、喜び勇んで行ったことがある。文筆での雄弁さとは真逆の愚図ぶりを披露した森見氏を、私はますます好きになったことが記憶に懐かしい。

という感じで、自分でもおかしいと思うが語り口調が似てきてしまう。村上春樹を読めば、その日の日記は「ハルキ調」になり、森見氏の作品に触れれば、森見風になってしまう。村上氏や森見氏の文章には独特のリズムがあり、しばらくそれに触れていると何となく影響されてしまう。私は今も昔も影響されやすいたちで独自性というものがとくにない。

私は不毛なことやくだらないこと、大事に対する些事が好きなので「四畳半神話大系」を見るといたるところに痛さやどうしようもなさが溢れていてたまらない。

つまりは、「有意義でバラ色の学生生活とはツチノコのようなものである」というのが本作の趣旨だと思う。だけど、四畳半無限地獄に入り込んでしまった「私」が感じたことは真実で、考えさせられる。自分がとるにたらない、瑣事だと思っていたことが実は見方をかえればけっこう大事で面白い日常なんじゃない?っていうやつで、だけど人は「私」のように多角的に自分の日常を見つめられないから、結局人は「無為でつまらない学生生活を送ってしまった」と嘆くことになるのである。

自分の学生時代にもそういう感慨は身に覚えがあるけれど、今は昔となって振り返ってみれば、やりたいことはやったような気もするし、出来なかった・しなかったことよりも、その頃したことのおかげで得たものが今になって身に沁みたりするときもある。

ベトナムに滞在していた期間もそうで、その場で生活しているときには、本当にその生活の有難みや面白さは半分も理解できていなかったのではないかと思う。記憶が美化されてしまう現象かもしれないけど、そのころ出会った人や遭った出来事や、必死に身につけようとして結果的に学んだことなんかは今思うと当時思ったのとは違う価値がある。

単に、日常というだらだらとしてぶよぶよしたものから、「ベトナム生活」という限定されたものに集約されて記憶になっているからかもしれない。2年という時間のほとんどが何でもない普通の日常で、私はアニメを見たり本を読んだりビールを飲んだり、働いたりして過ごしていたけど時々あるイレギュラーが、今となってはポイントとなって記憶の中に小綺麗にまとめられているだけかもしれない。

ワルシャワでもすでに、慣れたことに囲まれて、ときたま慣れないことに出くわしながら普通に生活しているけれど、やがてこの生活が記憶になったときに、どんな様相を呈するのだろう、と、ぼんやり思ったりしたのだった。