ポーランド日記

ワルシャワに来ました。

出発

もうしばらくすると、出発する。  

振り返ってみると、私はよくどこかへ向けて出発する。どこかへ行くのが好きなのだ。何の特技もないけれどフットワークの軽さだけは自信がある。かなり、自信がある。どれぐらいあるかというと、1年以上前に一度だけ会って、仲良くなったタイ人の友だちが結婚式をするからと招待してくれたのでホイホイ予定をあけて出向くほど、軽やかに飛ぶ(もちろん旅費は自己負担)  

 

少しずつ出発が現実味を帯びていくのが楽しい。

これからますます春になるのも、楽しい。  

しかし、出発前のドキドキとか、浮き立つようなわくわく感は年々薄れてしまったような気がする。初めてデートするときみたいな緊張感とか不安とかをごちゃまぜにしてそれを抱えたまま90度の角度から落下するような高揚感、そんなものがどんどん薄くなっていく。

感慨なく実務的に準備が進んでいく。年をとったのかもしれないし、ただ慣れただけかもしれない。どこかへ行ったところで天と地が入れ替わるわけでもなく、淡々と日常が続く。落ち着いてしまえばそれは結局、どこにでもある自分の生活なのだ。

アイルランドに行くとき、ベトナムに行くとき。小さな旅行に行くとき。

多分、そういう事を何度か体験して、「出発」することに慣れてしまった。

 

外国での生活は、面白い。不確かで落ち着かないけれど、退屈しない。予定通りにいかなかったり、心底戸惑ったりすることは日本での生活よりも圧倒的に多い。 海外旅行でも外国生活でもたいがいにトラブルに見舞われてきたけど、今のところ最終的には、ネタとして笑えるからこうしてまた出発できる。本当に笑えないことに遭わないように十分、十二分に気を付けながら、またそれを切に祈りながら。

なんとなく出て行って、なんとなく順応するので、 日本を離れて外国で生活を始めることに、抵抗や緊張みたいなものは薄いほうだと思う。 

もし、一抹の心残りがあるとすれば、 予約購入中のアニメのDVDのコンプを前に出航することで、きっと私は、ネット上で公開されていくジャケットや特典グッズを見ながらヤキモキするのだろう。しかし時期的に、全巻発売を待ってはいられなかったので致し方ない。それと公式ファンブックが出るのも辛い。はやりEMSで送ってもらうべきかもしれない。オタク活動は、海外生活の唯一の敵かもしれない。   

 

出発することについての感慨はとくにないと言ったけど、 ひとつだけどうしてもしんみりしてしまう時がある。  

留学なり仕事なり旅行なり、私の大小様々の「出発」の前は、有難いことにたいてい両親が車で、大きなスーツケースを積み込んで、成田あるいは羽田空港まで送ってくれる。早朝が多く、途中でどこかでご飯を食べてから、空港へ向かう。

そして出国ゲートで、短い、長い、さようならをする。 ある時は23日だし、ある時は1ヶ月で、これまで長くて1年のさようならだった。 

 

空港という場所だから別れに対してセンチメンタルな気持ちになっているわけではないけれど、やはり、出国ゲートで娘の姿が見えなくなるのを、案じ顔で見送る両親を眺めるのは、ものがなしい。さびしいというのか、無性に申し訳ないというのかよくわからない。

揚々とひとりで飛び出すはずだったのに、いざ一人でゲートをくぐってから、来た道をこれから引き返していく両親を思うと、ひとりがとても心許なく思えてくる。 

 

もちろん、そんなことはすぐに忘れて飛行機に乗ってしまえば、私は機内で酒を飲みだす。新天地への到着と新しい生活に思いを馳せるのに余念がなく、空港でのしんみりなんて、次の出発まで思い出すことはない。  

 

まあそんなわけで、あと数日で出発します。